昭和の初め、火薬の起爆剤・艦底塗料など需要が大であった水銀鉱の開発が、勢多で行われました。1938年秋に操業を開始した日窒工業でしたが、最盛期には社員住宅だけでも100戸ちかくが建ち並び、萩ヶ岡の駅前もかなりの賑わいぶりであったそうです。1939年には駒場から平野千代亀が移転して「水銀ホテル」の旅舘を経営していましたが、十勝唯一の地下資源所在地であり、また軍需品であるところから人の往来も激しく利用度も高かったといいます。
しかし終戦と共に水銀鉱は閉山。1952年からは中央カオリンが鉱区を買いうけカオリンの採掘に着手しました。その後1998年からは共成レンテムがゼオライトを採掘していましたが、現在は閉山しています。
水銀ホテルに関する資料はほとんど見つかっていませんが、町内の飲食店にて「ついたて」が保存されています。写真はぬかびライフ様から提供頂きました。
「ついたて」の下には「贈 藤丸呉服店」の表記があります。

